ペニシリンの精製度をあげることが同時進行していた1941年には、チェンとアブラ
ハムは50単位/mgまで純度をあげた(現在は1800単位/mg)。
1941年1月 臨床試験に先立ちフローリーは永年協力関係にあった臨床医Caiensに
そのむね打電した。がしかし彼はDr.L.J.Wittsを自分ののかわりに紹介した。
フローリーはウイットとどのように実際やっていくのか相談していた。そこに若い
臨床医チャールズ。フレッチャー(Water Fletcher卿の息子)がドアをノックしてはい
ってきた。ウイットはこの話------ペニシリンの投与に適する患者をさがす-----フレッ
チャーにしたところその場で同意した。すぐにこの若い臨床医は患者を見つけた。
彼女の名はElva Akers、余命1〜2ヶ月の手術不能の癌患者であった。フレッチャーは
自分の立場を彼女に説明して同意をえた。
1941年1月17日。ウイットとフローリーの立ち会いのもと、100mgのペニシリンを
静脈注射。2時間以内に彼女は苦悶し身体の震えと体温上昇がみられた。当時は静
脈注射や輸血などではよくみられた現象(残存するごく微量の発熱物質による)だ。
フローリーもこの種のものだと思った。しかしその他の副作用はみられなかった。
このあとはクロマトグラフィーを使ってこの発熱物質は取り除かれた。その他、
ペニシリンは血液から早やかに腎臓をへて尿に排泄されるため、ゆっくりと注射
することが血中濃度の維持のために大切であることなどがわかった。胃酸で破壊
されるため経口投与は役にたたないが、十二指腸チューブで大量に投与すると十
分な濃度がえられることなどがわかった。
これらの予備試験をおえたあと、前の動物実験の成果を踏まえていよいよ細菌
感染の患者それもいままでの薬が無効な重症例に投与する段階に達したとフロー
リーはおもった。フレッチャーはすぐそれに適する患者をみつけた。
1例目:Albert Alexander、43才 警察官。
----------はじめは口角の小さな傷口であったが、その後ブドウ球菌と連鎖球菌の感染
----------が顔面の皮下組織へ拡大し、目と頭皮部までたっした。大量のサルファピリ
----------ジンで治療されたが、効果なく膿瘍部の切開と排膿をされた。
2月3日 左目が外科的に切除されたが。感染が右肩部、肺まで拡大。
2月12日 ペニシリン200mg投与しあと3時間毎100mgずつ投与。24時間以内に
-----------患者の状態はよくなり、つぎの4日間は排膿は減少し体温は平熱になる。
2月17日 右目はほとんど正常になった。がペニシリンを使い尽くした。
最後の3日間は患者の尿を回収しDunn Schoolに持ち帰って
ペニシリンを再生してつかったがそれも使い果たした。
つぎの10日間は健康回復しつつあったが----
3月始め 肺感染が再発。
3月15日 死亡。
次ぎの患者に投与するときはもっと十分な量のペニシリンを準備し、できれば
投与量が少なくてすむ子供を選びたいとフローリーはかんがえた。
2人目の患者:Arher Jones、15才男の子。
------------1月24日に大腿部に針を挿入する手術の後傷口から連鎖球菌感染をおこし
------------敗血症になる。スルフォンアミドで治療されたが効果なく悪化。
2月22日 体温103F、100mgペニシリン投与。その後5日間は3時間毎に投与。
最初の2日以内に平温になり、以後4週間平温の状態を保った、
そして感染巣のピンが外科的に除去された。
3人目の患者:Percy Hawkins、42才労働者、
------------背中に4インチの皮下膿瘍。腋下リンパ節の肥大と高熱。
------------膿瘍は深くブドウ菌の感染をおこす
5月3日 200mgペニシリン投与。あと最初の5時間は時間毎に。
5月7日 状態良好。ペニシリンを半量に減量。
5月10日 皮下膿瘍ほぼ消失す。
4人目の患者:John Cox 、4歳半男子
-----------5週間前に麻疹に罹患したあと、左眼瞼にseptic spots出現、眼窩へ拡大し頭蓋の
------------海綿静脈洞の血栓症おこす。2週間sulphapyridineで治療されたが効果なし。
5月13日 眼窩、顔面の腫大と髄膜炎の徴候あり半昏睡状態。ペニシリン100mgを時間毎
--------------二回投与。50mgを1時間毎4回。その後は5mg/hr
5月16日 顔面の腫れはひき良好。
5月19日 ほとんど改善
5月22日 おもちゃで遊ぶ。ペニシリン中止。
5月27日 突然の全身痙攣と意識喪失。
5月31日 死亡。 Dr. robb-Smithが剖検。死因は脳動脈破裂で感染のため
--------------血管が脆弱になったため。感染は治癒。
これは悲しい結末。ペニシリンは感染に有効だという疑いない事実を示してくれた。
しかし患者は死亡した。
5人目の患者:14才半の男子
5月6日 入院。ブドウ球菌による左大腿骨の骨髄炎と敗血症。Suphathiazoleで治療。
----------------左股関節の外科切開された。
6月6日 病状極度に悪化し腎臓に感染およぶ徴候あり。ペニシリン500mg投与,
---------------その後90時間で3.5g投与。
6月10日 改善
6月16日 ペニシリン連続投与中止
6月20日 まで間欠投与。合計17.2g
左股関節はもちろん感染で損傷うけたがその後は完全回復す。
6人目の患者:6か月の男子。
------------ブドウ球菌による尿路感染症で腎不全となる。スルフォンアミドが投与れ
------------たが、副作用で白血球減少おこし中止。
6月5日 重炭酸とともにペニシリン経口投与。
治療1週間で完全治癒す。
1941年8月号に、これらの治験はペニシリンの生産方法、その生化学、動物実験
とともにランセットに詳細に発表された。しかしこれらのドラマチックな結果もフ
ローリーを納得するにはあまりにも例が少なすぎた。もちろん統計学者を納得させ
るものでなかった。もっと大規模な治験が必要であった。だがそれはDunn Schoolが
作り得るペニシリンの量を遥かに超えていた。
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Gwyn Macfarlane, Howard Florey- the making of a great scientist,
1980, Oxford University press. から翻訳。
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