Saturday, March 6, 2010

恩師の病気回復祝い

医学部学生時代に柴田二郎先生の主催された読書会のメンバーが集まって
先生の病気回復を祝う会を山口市でおこないました。先生の体調を考え大阪
でする予定を急きょ変更し,近くで行ないました。

メンバーの中には卒業以来というのもいました。私以外は卒業後は,他県の
大学医学部か大学院へ進学。


写真)後列右から-------------
ーーー中山俊憲(昭59年卒):千葉大学 大学院医学研究院 免疫発生学教授
ーーーーーー私(昭50年卒):上宇部こどもクリニック
ーーー新谷英夫(昭56年卒):大手前病院 心臓血管外科 部長
ーーー下妻晃二郎(昭56年卒):立命館大学 総合理工学院 生命科学部教授
ーーー国本雅也(昭54年卒):済生会横浜市東部病院 脳神経センター
前列右から------------
ーーー白井睦訓(昭56年卒):山口大学医学部 機能分子解析分 教授(微生物感染症)
ーーー柴田二郎 先生(昭26年卒):中央クリニック柴田医院ーー 
ーーー青戸雄司(昭54年卒):栄光病院(福岡県粕屋郡) 副院長   
欠席)佐藤敏信(昭58年卒):厚生労働省 医政局 指導課長


柴田二郎 先生  略歴

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1928年10月5日 広島県呉市,柴田医院(小児科)の次男として出生。
1942年4月 広島陸軍幼年学校に入校(第46期)
1945年3月 同校卒業
ーーー4月 陸軍士官学校 入校(第61期)
ーーー8月 敗戦とともに廃校。
1946年6月 軍学生徒制限のため旧制高等学校に入学できず
ーーーーーー山口医学専門学校入学
1947年9月 インターン終了。医籍登録(145583号)
ーーーーーー山口医科大学助手(生理学)
1960年4月 自衛隊医官。航空実験隊
1962年7月~1963年12月
ーーーーーーcardiovascular division, Department of Internal Medicine
ーーーーーー(Head: Prof. Wintrobe:血液学教科書の編集者),
ーーーーーーUniversity of Utah, USA.
1963~1966 山口大学医学部助教授(生理学)
1966年4月~1968年8月
ーーーーーーDepartment of Medicine (Head:Prof.Hans H Hecht,次期の
ーーーーーーアメリカ心臓病学会の会長にノミネイトされていたが急死),
ーーーーーーUniversity of Chicago, USA.
1968年8月 帰国。
ーーーーーーしばらくすると山口大学でも紛争が勃発。
1971年   医学部学生を集めた<読書会>開始。
1975年   山口大学 保健管理センター所長。
1982年7月(53才) 中央クリニック柴田医院を開業。
ーーーーーーーーーー山口新聞にコラム執筆を始められる。
ーーーーーーーーーー異業種交流会<近未来研究会>を開始。
2009年9月(80才) クリニックを閉院。

(著書)
医者のホンネ,新潮社 1992年
医者のホンネ(文庫本)新潮社 1997年
精神科クリニック物語,中央公論社 1993年
患者に言えないホントの話,新潮社 1993年
病いに医者いらず,王国社,1993年
病にに医者いらず(文庫本),小学館文庫,1999年
医療の常識を斬る,廣済堂出版,1993年
ガン死のすすめ,産業能率大学出版部,1998年
医者がすすめる安楽死,新潮社,2001年
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