Monday, September 20, 2010

ペニシリン(その20):マーガレット・ジェニング




写真:Dr. マーガレット・ジェニング

ケン・フォレットの小説 Eye of the Needleにでてくる女性のようで
意志の強い感じを受けます。小説では英国に侵入したドイツ人スパイ
がU-ボートに連合国軍の上陸地点がノルマンデーであることを伝えよ
うとします。英国女性はソケットに自分の手を突っ込んでショートさ
せ通信を妨害するという小説です。

ジェニングはフロリー教授の下で,ペニシリンの細胞,組織への影響
を研究。晩年フロリーは奥さん(Dr. Ether Florey) に先立たれましたが,
1967年にはジェニングと再婚。しかし 翌年にはフロリー教授は
心臓発作で死去します。享年69才。葬儀はMarstonという田舎町に
あった家の前の小さな教会で行われました。


質問,問い合わせ先:
〒755ー0097
山口県 宇部市 常盤台1丁目20−2
上宇部こどもクリニック 萩原啓二 
電話: 0836-29-1155
Fax: 0836-29-1156
E-mail: keijihagiwara@gmail.com

ペニシリン(その19):分離精製とノーマン・ヒートレイ





写真:ノーマン・ヒートレイ(1911−2004)
写真:若い時
ペニシリンカビの培養ビンからの培養液回収法

ペニシリンの抽出工程,オックスフォード大学,1942年 

ヒートレイは写真でみるように,温厚,誠実,繊細と言う言葉があてはまる
イギリス紳士。実験研究には不可欠な人材です。オックスフォード大学の
ペニシリン開発チームの一員として参加しました。2000年オックスフォード
大学はその800年の歴史以来初めて,医者以外で彼に名誉医学博士号を授与
しました。2004年93才で逝去。

ランセットに発表されたペニシリンの論文には彼の名前もあります。
Abraham EP, Chain E, Fletcher CM, Florey HW,Gardner AD,Heatley NG, 
Jennings MA,: Further obsevations on Penicillin.The Lancet, 238:177-188, 
August 16, 1941.

ペニシリンの抗細菌活性を定量的に測定する方法( cylinder-plate法 )
Heatley NG,: A method for the assay of penicillin. Biochem J.1944; 
38(1): 61–65.,また培養液からペニシリンを抽出するのにBack-extraction 
法(counter-flow exchange)を用いました。

質問,問い合わせ先:
〒755ー0097
山口県 宇部市 常盤台1丁目20−2
上宇部こどもクリニック 萩原啓二 
電話: 0836-29-1155
Fax: 0836-29-1156
E-mail: keijihagiwara@gmail.com

ペニシリン(その18):1945年度ノーベル医学生理学賞


写真:1945年度 ノーベル医学生理学賞の受賞者

ロンドン大学:アレキサンダー・フレミング卿
オックスフォード大学:アーンスト・ボリス・チェイン
オックスフォード大学:ハワード・ウオルター・フローリー卿

1945年ノーベル財団は,ペニシリンの発見及び各種感染症に対するその
治療効果の発見で,医学生理学賞をフレミング,チェイン,フローリー
の3名に授与します。

イギリス,アメリカの新聞雑誌がフレミングのみを取り上げたのに対して
ノーベル財団は公平な判断を下しました。

ノーベル賞は科学上の発見に重点をおかれてます。しかし科学上の発見
には,かならずそれを支える新しい技術の支えがあってはじめて可能と
なります。私はペニシリンの精製分離をする上で技術の工夫をしたヒー
トレイも受賞すべきであったと思っています。


質問,問い合わせ先:

〒755ー0097
山口県 宇部市 常盤台1丁目20−2
上宇部こどもクリニック 萩原啓二 
電話: 0836-29-1155
Fax: 0836-29-1156
E-mail: keijihagiwara@gmail.com

ペニシリン(その17):1944年ノルマンデー上陸作戦


1941年10例の治験成功例の公表後もで英国製薬企業には,このペニシリン研究
の援助を行うこと,将来くすりとして有望であるから企業化しようとの動きがあり
ませんでした。

フローリー教授とヒートレイはアメリカにわたり米国政府,メルク社をはじめと

した米国製薬企業の協力を仰ぎます。こうしてペニシリンの生産は開発された
英国でなくアメリカでなされることなりました。

3年後,1944年6月ノルマンデー上陸作戦の時にはアメリカのペニシリン製造は
約4万人分/月産にまでなりました。このペニシリンの9割はアメリカの製薬会
社ファイザー社が,深底タンク発酵法で作りました。

→ http://www.pfizer.co.jp/pfizer/company/150_history/start.htm

同年,ファイザー社は製造特許を取得しました。

生化学者であったチェイン博士は反対しましたが,フローリー教授はペニシリン
の製法に関して特許をとる意図がまったくありませんでした。皮肉なことに,
第二次大戦後ペニシリンの販売で英国製薬会社がアメリカの会社に特許を払う

はめになりました。その後,セファロスポリン系抗生物質が同じオックスフォー
ド大学の研究者により発見されますが,ペニシリンの失敗に懲りて特許を取得し
ました。


ご質問はーーー
〒755ー0097
山口県 宇部市 常盤台1丁目20−2
上宇部こどもクリニック 萩原啓二 
電話: 0836-29-1155
Fax : 0836-29-1156
E-mail: keijihagiwara@gmail.com

ペニシリン(その16):構造決定,エルンスト・チェイン



写真:チェイン博士(1906ー1979)

最初の10例の患者に投与されたペニシリンの純度は不十分(精製度は
50-70%)ぐらいでした。その後,チェイン博士はその精製分離,化学
組成の分析,構造決定へと研究を進めます。同時にイギリスの 
the Imperial College of Science, Burroughs Wellcome Ltd., Imperial Chemical
Industries, Glaxoなども研究に参入します。

さらにアメリカではペニシリンの大量生産の為に国家をあげて取り組み,
ペニシリンの構造決定には200名以上の化学者が参加します。
特にメルク社の研究所は豊富な資金,資材と人で研究に成果をあげます。

一方のオックスフォード大学では,患者の臨床治験の続行と同時にチェ
イン博士らは構造決定の研究も行い,1943年10月には最初にペニシリン
の構造式の提示をします。

1943年には英国とアメリカの両国政府はペニシリンの構造に関する論文
の公表を禁止する処置を行います。その後1年あまり両国の研究者は
お互いの研究進展状況がわからなくなります。

最終的にはペニシリンは4種類あることがわかりました。イギリスでは
その発見順にペニシリンI, II, III, IV と命名。 アメリカでは F ,G, X, K
と命名します。

ナトリウム塩の結晶として精製されたものの化学組成は---------------
Penicillin I (F) =C14H20O4N2S
Penicillin II (G)= C16H18O4N2S
Penicillin III(X) =C16H18O5N2S
Penicillin IV(K)= C16H26O4N2S

原子量 C=12, H=1, O=16, N=14, S=32なので,その分子量は----------------

Penicillin I (F) =12x14+1x20+16x4+14x2+32=312
Penicillin II (G) =12x16+1x18+16x4+14x2+32=334
Penicillin III (X) =12x16+1x18+16x5+14x2+32=350
Penicillin IV(K) =12x16+1x26+16x4+14x2+32=342

基本骨格は 6-amino-penicillanic acid で,そこには炭素原子3個と
窒素原子1個が連結したベーターラクタム環構造をとり,その側鎖の
分子のわずかの違いがあるだけです。ベーターラクタム環のあること
の最終証明は,その後のX線結晶分析で解決しました。

参考) Ernst Chain: The chemical structure of the penicillins,Nobel Lecture, March 20, 1946.
                →http://nobelprize.org/nobel_prizes/medicine/laureates/1945/chain-lecture.html



質問,問い合わせ先:
〒755ー0097
山口県 宇部市 常盤台1丁目20−2
上宇部こどもクリニック 萩原啓二 
電話: 0836-29-1155
Fax: 0836-29-1156
E-mail: keijihagiwara@gmail.com

ペニシリン(その15):当時の英国医学会の態度

--------ペニシリン治療成功をめぐる英国医学界の見解--------

フレミング博士は当時の英国の医師倫理規定に違反して,新聞雑誌に自己宣伝
をおこなった。 
これに対して英国医師会は処罰をせず,またペニシリン療法
開発をめぐる誤った新聞雑誌報道に対して何の手も打ちませんでした。

その大きな理由の1つは,この誤った報道で利益を得た人間が,フレミング博
士の所属していた聖メアリー病院にいたこと。1人は直接の上司であったライ
ト博士,もう1人は当時のチャーチル首相の主治医であり聖メアリー病院医学
校の責任者であったモーラン博士です。

残念なことにフローリー博士には医師会ないし科学界の上層部の援護がなかっ
たことです。


医者,医学者,他分野の科学者は,一般人と異なり,その能力の一部ですぐれ
た才能をもった人が多いは事実ですが,人格としては問題のある人間が多いの

も事実で,天は2物を与えず。

フローリー博士はオーストラリアのアデレイド生まれで生粋の英国人ではあり
ません。優れた研究をおこなって成功した人間に対して素直に賞賛する人がい
ると同時に,逆にうまくやったという嫉妬心を持つ人間が足をしばしばひっぱ
るのはどの分野の職業にも時代が変われどいるものです。

新聞雑誌の誤った報道で傷つけられる事態は,60年以上もたった現在の日本
でもまったく状況が変わらないのは困ったことです。
----------------------------------------------------------------------------------

フローリーはけっしてなにもしなかったのではない。1942年12月11日,
王立協会の会長ヘンリー・ダーレ卿に手紙をかいた。

『 あなたも知ってのとおりペニシリンについて新聞雑誌社によって
望ましからざる公表がたくさんなされてきた。わたしはこれまで信念
をもって新聞雑誌のインタビューには応じてこなかった。ガードナー
教授はその態度が誤っていると私にいった。フレミングからの私へ手紙
では、彼自身が同じことをしようと努力していると言った。だからこれ
で新聞の公表は止むであろうと思った。私は彼の言葉を額面どおりに受
け取った。

しかしBBC放送の総局長や、聖メアリー病院の幾人かによれば、フレミ
ングはペニシリンの仕事を全て自分で予見してやったかのように自己宣
伝しているとのことである。わたしの意味するところは、Britain Todayに
でたフレミングの写真とその記事。この続いている宣伝は科学界の人間
ですら影響をうけている。(しかしあなたもまた、ペニシリンについて
は少し仕事をしたね)と。                』

そして、つづけて手紙の中で、真実を明らかにした論文を公表すること
についての意見をダーレもとめた。これに対しダーレはフレミングに反駁
することのないようにフローリーに頼んだ。フローリーが王立協会の評議
員であり、フレミングいまその候補者となっている時に2人の対立は好ま
しくないとダーレは判断した。だからフローリーはその後も黙したままで
あった。だがその後もフレミング神話は国際的規模まで拡大した。

1944年6月19日 フローリーは医学研究協議会の書記であるメランバイに
手紙を書いた。

『 親愛なるメランバイ
この手紙を書いたのはあなたの手助けをもとめるからだ。私にはとても耐
えられる状態ではない。ここオックスフォードの我々をずーとイライラさ
せてきた原因は---無節操なキャンペーン。ペニシリンの仕事の総てが聖メ
アリー病院のフレミングによってなされたとのキャンペーン------ 。

私のポリシーとして,これまで新聞雑誌記者のインタビューや、電話によ
る問い合せにも一切応じてこなかった。反対にフレミングはなんらの制止
もなくインタビューにでて写真をとられ-------云々。写真の見出しは 
『彼はペニシリンの発見者(事実だ)。その化学療法の発見へと導くすべ
ての仕事をした(事実でない)。 

いかにこれが不公平であるかあなたは分かっておられるはずです。”なぜ
困惑するのか”があなたの答え。私はしばしば周りの人々からなぜ何もし
ないのか?と尋ねられる。私は新聞に公表する意志はありませんし権利
もありません。私が提案できることはペニシリンがいかにして医学に導
入されたかの事実を明らかにした声明を医学研究協議会から発表される
ことです。                    敬具     』

6月20日付のメランバイの返事

『 親愛なるフローリー
 ペニシリン発見の大衆の歓喜を持上げるフレミングの尋常でない態度で、
あなたと同僚がむつかしい立場にたっていることについて話しをもてた
のは私の喜びです。この前言ったように、新聞に無言であり、またあな
たの研究室でやった仕事をすべてフレミングに割り当てられたのは寛大で、
すばらしい。短期あるいは長期的見地から判断しても望ましい。

この国や他の国の科学者はこの事態を正確にとらえている。みんなわかっ
ている。科学的見地からも、あなたと同僚の仕事は、フレミングより遥か
に高いレベルにあることがわかっている。あなたの立場をイライラさせて
いるのは理解できるが,しかしこれは束の間の反応だということは分かっ
ていると思う。吐き気を催すのでなく飲み込まれるのがよい。新聞雑誌の
一時的キャンペーンは笑顔でやり過ごせばよい。       敬具 』

この手紙はフローリーとオックスフォードの同僚にはなんの慰みにもな
らなかった。メランバイは医学研究協議会がこの騒動に巻き込まれるのを
明らかに避けた点、またこれは一時的な反応だという認識はあきらかに間
違っていた。ときの指導的な科学者の影響を過大評価しすぎ、新聞雑誌の
力を過小評価していたと言わざるをえない。
------------------------------------------------------------------------------------------------------------
Gwyn Macfarlane, Howard Florey- the making of a great scientist,
1980, Oxford University press. から翻訳。


質問,問い合わせ先:
〒755ー0097
山口県 宇部市 常盤台1丁目20−2
上宇部こどもクリニック 萩原啓二 
電話: 0836-29-1155
Fax: 0836-29-1156
E-mail: keijihagiwara@gmail.com

休憩